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第3部 排ガス規制の時代

4代目スカイライン】【5代目スカイライン


4代目スカイライン(C110型)
1972年9月発売 1998CC 130馬力
2代目GT−R 1973年1月発売 (KPGC110)
1989CC 160馬力
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4th GT-R2
4代目では、「ケンとメリー」をキャラクターとして採用、イメージ戦略が成功して人気車種には成りました。先代ではまだ2代目スカイラインの面影を残していましたが、今回は先代の面影を全く感じさせないアメリカンなスタイルが特徴となりました。
ケンメリスカイラインでは、丸形のテールランプが復活しました。これ以降、歴代スカイラインには丸形のテールランプが必ず採用されることになります。(一部1800CCなどに例外あり)

3ヶ月後、新型GT−Rが発表されました。4輪ディスクブレーキ、175・14インチのラジアルタイヤ(!)を装着、各フェンダーにビス止めされたオーバーフェンダーや、フロントグリルは非常に迫力あるものでした。しかし、車重は45キロ重くなり、ホイールベースも40ミリ長くなるなど、レースには不向きでした。ガソリンタンクも旧型は100L(!)あったのに対し、新型では55Lまで容量が下げられました。その上、折りから強化された排ガス規制に対応することができず、197台生産されたところで生産中止となり、ケンメリGT−Rは消滅してしまったのです。これ以降、次のGT-R登場まで、ファンは16年半の歳月を待つことになります。

第19回モーターショーで参考出品された、レースバージョン。2000GTをベースにしていました。ドライバーは高橋国光氏。(この時点では、GT−Rは発売されていなかったのです)
ゼッケン73は、翌73年のレースシーンを意識していたとしか思えませんが、結局レースでこの勇姿を拝むことは出来ませんでした。

当初はレーシングバージョンも発表するなど、ファンを期待させましたが、新型GT-Rがサーキットに登場することはついにありませんでした。73年に入って、折からの排ガス規制に対処すべく、日産はワークスを解体させたのです。レースのためのベース車であるべきGT-Rがレースに出ないと言うことは、そのアイデンティティを失うに等しいものであるといえ、生産中止に追いやられたのも無理はありません。


マイナー後のHTタイプ
「ケンとメリー」(初代は陣内ジミーとダイアン・クレイ、2代目は前田俊彦とテリー・ミラー)のキャラクターは大人気。CM曲バズの「ケンとメリー・愛と風のように」は30万枚を越えるヒット。ファッション性に重点をおき、人気の面では成功と言えたケンメリスカイラインですが、実力の面では大きく後退したといわざるを得ません。そして、それ以降スカイライン、いや、日本車にとって苦難の時代がしばらく続くことになります。排ガス規制の時代です。

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5代目スカイライン (HGC210型)    1977年8月発売 115馬力

5th
スカイラインは日本の風土が生み、日本を代表する車であるとの観点から「スカイラインジャパン」というキャッチコピーを採用、先代に続き人気を博します。先代に続き男女2名をイメージキャラクターに採用。なんとマイケル富岡と朝比奈マリヤ(後期は黒沢浩とテリー・ミラー)でした。CMソングにはラジ「愛はたぶん」、チューリップ「I love Japan」が採用されました。
5th-Turbo
1980年4月、2000ターボGT(KHGC210)発売。アメリカのギャレット社製のターボチャージャーを搭載し、145馬力を発揮。大きくパワーアップしました。ターボの導入は、エンジンのハイパワー化を容易にしました。Tシャツにも「TURBO」、サンダルにも「TURBO」、猫も杓子もターボの、ターボ時代の到来です。

1979年7月にはヘッドランプを4灯式から角型2灯型に変更、デザインを充実させます。しかし、同じ1977年に先代に続き(2バルブ)ツインカムエンジンを積みデビューしたセリカのキャッチコピーで「名ばかりのGTは道を開ける」「ツインカムを語らずに、真のGTは語れない」と言われてしまい、スカイラインの名誉を大きく傷つけることになります。

このころのスカイラインは、4バルブツインカムを捨て、鈍重で、ボディばかりが大きく、とても走りを感じさせる車ではありませんでした。スカイラインは人気ばかりではいけない。走りに魅力があってこそ、スカイラインであり、真のGTである。こうした反省から久しぶりに速いスカイラインが登場しました。ターボGTの登場です。

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第4部は「栄光の復活」です。